先日、部屋の整理をしようと思い断捨離を実行していましたら、二十何年か前に買ったファミコンが出てきまして「懐かしーーっ」となり、当時のことを色々思い出していました。
当時は好んでロールプレイングゲームをよくやっていました。
人生の折り返し地点を越えてきた今、ふと人生自体が「ロールプレイングゲームに似ているな…。」と思ったのです。
「だったら“自分の人生の中のラスボス”は何なんだ?」と疑問に思い考えました。
そして人生を振り返り導き出した答えが「存在しない。」だったのです。
その根拠についてお話していきたいと思います。
今、何かの壁にぶち当たり闘っている人にとって、この記事を読み進めることで、この先の人生がロールプレイングゲームのように楽しく生きるきっかけになればと思います。
人生はロールプレイングゲーム~ラスボスは「自分の弱さ」が作り出す産物
当時、私はロールプレイングゲームが好きで、ドラクエやゼルダの伝説などの物語りの魅力に引き込まれ、時間が経つのも忘れて夢中になりました。
その魅力は何と言っても、死闘を繰り返し、傷だらけになっても立ち上がり最後の敵を倒す爽快感だと思います!
ですので当時の私は主人公と共に使命を果たすべく、闘いながら謎を紐解き、誰かを助けたり助けられたり、悪を振り払ったり傷つけられたりと、いくつもの波乱を乗り越え、心も身体も身につける武器も強く成長する事で、最後に待ち構える大きな敵に打ち勝つことができる冒険ファンタジーに、心底魅了され満喫していました。
ゲームの最中、悔しがったり、ガッツポーズしたり、叫んだり、脱力したり、画面の中の主人公は、まさしく自分自身です。
ラストまでたどり着くと、まさに「達成感!!爽快感!!」で満ち溢れずにはいられませんでした。
断捨離をしながら、そんな思い出を振り返っていました。
そして、数日後ふと思ったんです。
ん?人生はロープレだ!と。
人生はロールプレイングゲーム
自分の人生がロールプレイングゲームだとしたら?その課題は案外明確です。
自分はいったい何を目指しているのか。
その過程をどれだけ努力できるのか。
その先にいるであろうラスボスを倒す事はできるのか?
実際に私も今までの自分の人生の中で、「困難に立ち向かわなければならない事」が、実際に何度もありました。
受験の失敗
離婚
病気の発覚
親が認知症になる
など、乗り越え答えが導き出せた時もあれば、未だに答えがわからずに胸に傷を負ったままの事柄もあります。
それでも傷を隠したまま次の困難に立ち向かい、諦めずに前を向いて歩いたり試行錯誤し今に至ります。
その過程、人に助けられたり微力ながら誰かを助けたり、決して一人で生きてきた訳ではない、一人では乗り越えられない事もあると学びました。
これってまさしくロールプレイングゲームと同じですよね。
では、その人生がロールプレイングゲームだとすれば、その人生でどこの何をめざしているのか?
それは人それぞれ違っているでしょう。
最終目的がある人もいれば、まだ模索中の人もいると思います。
「最終地点のラスボスが何なのかわからない!」と言う人がほとんどだと思います。
ですので実際は、「目の前に起きている悩み事(目の前のボス)をやっつけていく事に意味がある」のだと感じます。
では、リアルロープレはいったいどんな防具やアイテムを駆使しているのか…?
現代社会の「防具やアイテム」
ロールプレイングゲームで言うところの「鋼の鎧」的アイテムは、今現代に置き換えると何なのか?
「衣服、装飾品、鞄を身に着け、時計、携帯電話、勉強道具、自転車、バイク、車など」
と言ったところですね。
それらを駆使し闘いに挑んでいます。
上手く使える物、全く活用できない物、余計な物などがありますね。
欲しい武器は強い「黄金の剣」です!
そして現代の「黄金の剣」とは一体何なのか?
それは一体どうすれば手に入るのか?ですよね。
手に入れる前には闘いに勝たなければなりません!
ではその闘いとは?
現代社会の「闘いの対象物」
現代の闘いの対象物としましては…
「人間関係、学校生活、病気、仕事、天災など」
と言った、生きていれば巻き起こる様々な試練です。
これに負けじとクリアし積み重ねることで、経験値をUPさせていくことができます。
するとだんだん自分の目指す場所が見えてきたりもします。
自分自身との闘いが心を強くする
しかし、よく考えてみれば闘う事が目の前にあったとしても、実際に闘ってきたのは常に「自分自身」とではないでしょうか?
「闘えそうにないよ‥‥。」って時、誰かに励まされたり背中を押されたとしても、一歩前に踏み出す最後の答えは自分自身で出します。
「人に言われたからそうしよう!」と思ったのも自分で出した答えです。
一歩踏み出せず足踏み状態を決めるのも自分です。
失敗も成功も、結局は全て自分の責任で巻き起こります。
私は人生の折り返し地点辺りに来た時、絶対に自分の失敗ではないことであったとしても、そこに自分の責任を見出し反省するようにもなっていました。
そんな積み重ねが自分の心を徐々に強くしていきました。
人生の中で巻き起こる「自分の小さな物語り」を一つ一つクリアして、ステップアップすることが大切だと思います。
そうすることで、心の中の『負けない強い気持ち』に磨きがかかり、自分の人生の最後に待ち受けるラスボスにも、臆することなく立ち向かえる自分になるのだと思います。
で、結局「そのラスボスって何なの?」と考えました。
私にとってのラスボスは‥‥
案外即答で「存在しない。」でした。
何で存在しないの⁉と思いますよね?
それが人生のロールプレイングゲームをくぐり抜けてきて感じた答えなのです。
最後にそれを紐解きます。
ラスボスは「自分の弱さ」が作り出す産物
結局のところ、自分の人生のラスボスは「自分の中の弱さ」が作り出す産物だと感じます。
なにかを行う時に結果や失敗に怯えたり、今の現状をなげいたり、時には自分の気持ちに負けてしまうなんてこともあります。
それらを、時に人のせいにして自分を守ってしまう事もあります。
自分の人生はゲームのように、巻き戻しもリセットも出来ません。
だからこそ、「今」が「過去」になった時に後悔しないよう、その先にある不安に打ち勝ち続けることが大切なのだと思います。
そうすることで、ラスボスはいつしか出現しなくなります。
「自分の中にいる弱さ」を制し、「何事にも臆することなく立ち向かえる自分」を手に入れた時、それが自分の「黄金の剣」となります。
ですので、今、襲いかかっている困難も、これから巻き起こる困難も、負けない強い気持ちを持ち、闘い続ければノンラスボスにできる日が来ます。
それを手に入れたなら、人生のロールプレイングゲームを「達成感」で幕を閉じる事ができるのではないかと感じています。
ですので、恐れるなかれ自分のラスボスを!と言う結論に達しました。
もし今あなたが何かに迷い悩んでいるのであれば、部屋のほんの一部でもいいので(財布の中やタンスの引き出しでも)断捨離してスッキリさせて、自分の心も一緒に整理整頓し「自分の場合の人生のラスボス」について考えてみてはいかがでしょうか?