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高齢者を抱える日常に、寝込んでいるヒマなし!と言う現実にぶちあたる

高齢者を守る絵

先日、私は10年ぶりくらいに体調を崩し、2週間ほど床にふせる日々を送ったのですが、今回、寝込んだことで「自分はたおれられない!」ということを強く実感すると同時に、健康の大切さを思い知りました。

そんなお話をしたいと思います。

私は50代で高齢の両親の介助をするために一緒に暮らしていて、病院に付き添ったり、家事全般と身の周りのお世話をしているので、普段から「自分が寝込んだり倒れたりしたら大変だろうなぁ…。」と頭の中でうっすらとは思っていたのですが、実際にそうなってみて、思った以上に大変であることを痛感しました。

実際に私が体調を崩したとき、両親はと言うと、オロオロとただその場に立ちすくむだけという状況になり、私は高熱にうなされながら、自分のことと両親のことをしなければならない事態におちいり、誰かのサポートがないと正直きついなと思いました。

あぁ~自分が二人いたらなぁ…。と真剣に思いました。

この感覚は遠い昔、赤ちゃんを育てているときに自分が高熱を出し、朦朧としながら世話をしたときと同じでした。

そうそう…赤ちゃんを育てているとき、おむつを頻繁に買いましたが、今は大人用おむつを購入する日々なので、「同じおむつでも、全く意味の違うおむつだなぁ…。」と購入時に毎回しみじみ感じていたので、今回、「側におむつを必要とする人がいる」と言うことは、お世話をする人は倒れているヒマはないのだなと改めて思いました。

今回は高熱が出てもド根性で動けましたが、私も確実に老いて体力も根性もなくなり、同じようには対処できなくなってくるので、この先、両親が寝たきりにななり、介助から介護になった日にゃ、「自分は絶対にたおれちゃダメやん⁉」と、かなりプレッシャーを感じました。

しかしこの先、健康でいられる自信も保障もありません。

今回も予想だにしない、あまりにも突然の発熱に面食らい、どんどん数字が上昇していく体温計に「壊れてるんちゃうの⁉」と文句を言ったり、「夢だ!コレは夢に違いない!」と現実逃避したり、猛烈に焦りまくりました。

その焦りは、守るべき存在が守れなくなる!と言う焦りで、初めての独特な不安な気持ちも味わいました。

しかしですね、未来に必要以上の不安を抱いてもどうにもならないこともわかっているので、臨機応変にそのときに一番ベストな手段で生きるのみだ!と直ぐに前向き思考に切り替えました。

親が寝たきりになり自分が倒れたときは、確実に第三者の力を借りてお世話になる他ありません。

その日を一日でも長く先に延ばすべく、「家族が健康でいられるような日常を心掛け生きて行かなければ…。」と改めて考えさせられました。

しかし、そんな私の両親への心配や思いとは裏腹に、コロナ渦で高熱を出したことで、父は私に対し、「コロナだとうつるーっ!うわーっ!!」とゾンビから逃げるかのごとく、自分の身を守るべくハラハラドキドキしながらオロオロしていたかと思うと、数十分後にはTVをみて思いきり笑っている声が、私が寝ている2階にまで聞こえてきたりと、言動が自由過ぎて私は「クソーっ!」と更に高熱を悪化させながら、布団の中で握りこぶしを固く握りしめていました。

親の介助を始めてから、親子の立場は逆転していることは感じていましたが、今回、自分が倒れたことで、完璧に自分は守る側の「自立の立場」で、親は自主的に何もできない「依存の立場」になっていることを痛感し切なくもなりました。

双方の立場が逆転したことによる、なんとも言えない複雑な心境からわいた切なさでした。

そもそも両親は、「子供が親の面倒を見るのは当たり前だ」と言う考えなので、世話になる前提で年を重ねてきているため、自分たちの老後設計については無計画でした。

なんたるこっちゃです。

思うことはたくさんありますが、「そういう星の元に生まれたのだからしゃーないわ。」と、不満のミックスされた前向きさで、自分の人生と親の人生を受け止めつつ、私は自分の老後をしっかり考えて生きようと思います。

そう生きる中で学べることはたくさんあるので、頑張るのみです。

健康も、頑張ってどうにかなってくれれば有難いんだけどなぁ~。

「高齢者を抱える日常に、寝込んでいるヒマなし!と言う現実にぶちあたる」と言うお話でした。