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前編:アルツハイマー型認知症、診断までの経緯【物忘れの異変~災いする頑固な性格】

物忘れ

私の父は「アルツハイマー型認知症」なのですが、発見が早かったので医師のアドバイスや服用、本人の努力により、2年経った今も診断初期と何ら変わりなく過ごすことができています。

しかし実際のところ認知症は「年齢による物忘れ」と区別がつきにくいと感じましたし、「性格的な問題」も絡んでくると、認知症とは気づかずに過ごしてしまうおそれがあるとも感じます。

「性格的な問題」とは、もともと物忘れが激しかったり、おおざっぱなで頑固な性格である場合、認知症の症状があったとしても、本人も周りも性格の延長上のような気がして、深刻に受け止めにくいと言う部分です。父がそのような性格でした。

娘が気付く

ですので、うちの場合も父と四六時中一緒にいた母は異変に気が付くことはできず、離れて暮らす娘の私が真っ先に気が付きました。

母からすれば、認知症はTVの中の出来事であり、ひどくなっていく父の物忘れに対し、違和感を感じていたとしても、「まさか自分の夫が⁉そんなわけない!」と思いたい部分もあったようです。

おそらく、ほとんどの人がそう思うでしょう。家族が認知症だとは信じたくありませんよね。

私も実際に認知症と聞いたとき、お先真っ暗になりました。しかし、おセンチになっている暇などなく、すぐに気持ちを前向きに切り替えました。

時間

時間は絶対に巻き戻すことも止めることもできません。刻々と進む時の経過が症状を進行させていきます。

ですので1分1秒でも長く、家族との安らかでかけがえのない時を刻むためにも、普段の物忘れに対し、明らかに「いつもと違う…違和感がある。」と感じたら、迷わずに専門医を受診することをおすすめします。なにごとも『早期発見・早期治療』です!

そう遠くない未来に「超、超、超高齢化社会」がやってきて、きっと認知症を発症する家族を持つ人も増えてくるでしょう。

そんな時、「同じ空の下のどこかで自分と同じような境遇の人がいる。」と知るだけでも、勇気や力になることもあると思います。

実際に私も認知症のことについて書いているブログや記事を見て励みになり、父を支えていこうと思えました。

そこで、本記事では私が父の異変に気が付き、運転免許返納を促すところから、認知症と診断がくだるまでの4年間の一筋縄にはいかなかった苦悩と葛藤の日常について、詳しく物語調にしてお伝えしていきたいと思います。

同じように悩んでいる人の少しでも参考になれば幸いです。

アルツハイマー型認知症と診断されるまでの経緯【物忘れの異変~災いする頑固な性格】

脳

私が父の物忘れに異変を感じ専門医を訪れた当初、認知症とは診断されず、過去に発症した小さな脳梗塞の後遺症と診断されました。

そして、明らかに物忘れの激しくなった数年後の2019年に、ようやく「アルツハイマー型認知症」と診断されました。

私は診察室で医師の説明を聞いている途中で、「あ〜これはもう認知症だなぁ。」と覚悟したのを覚えています。

そして説明の最後で医師が、「~と、言うわけでアルツハイマー型認知症と言うことが言えます。」と宣告。

その時、幼い頃からの父との記憶が、医師の説明に幕をおろすかのように、エンドロールとなり頭に現れました。

私は数年、「父は認知症かもしれない」と覚悟をしていたにもかかわらず、案外ショックだったので、「母が聞いたらショックを受けるだろうなぁ…。」と心配していたのですが、診断を知った母の口から出た第一声は「あぁ~そう~、大変だねぇ。」……でした。

「た、た、他人事かーい!!」(゚Д゚;)

正直私は驚きましたが、おそらく娘がいる安心感が大きかったと思います。「落胆して絶望感に満ち溢れるよりはイイか!」と思い、とりあえず未知なるアルツハイマー型認知症への入り口を開くために、専門書を2冊購入しました。

書籍

わからないことは勉強するのみ。「備えあれば憂いなし!」「先手必勝!」と、そう簡単には行きませんが、これからどうなって行くのか…何が必要なのか…知ろうとしない限り誰も教えてはくれません。

書籍だけではなく、医師やケアマネジャーさんにお世話になりながら、積極的にバンバン働きかけていくことも大切です。そして経験者の話もケースバイケースではありますが、大いに参考になると信じています。

では、父のアルツハイマー型認知症についての経緯をお話していきます。

始めに登場人物の性格を、簡潔にお伝えしておきます。

  • 私(娘)・・・曲がったことが嫌いで几帳面、温厚、我慢強い。
  • 父(認知症)・・・いい加減で忘れっぽい、頑固でワガママ。我慢しない。
  • 母・・・正義感が強く、几帳面で我慢強い。

上記をふまえた上で、読み進めてみてください。

物忘れの異変の始まり

運転席

私の両親は隠居生活になってから、余生を楽しむべく父の趣味でもある運転で、週二回は必ずドライブに出かけていました。

ドライブから帰った母は、ドライブ中の出来事を楽しそうに話してくれました。

しかし父が70歳を越えたあたりから、その話の中で、「スピード違反で捕まった。」「斜線変更の違反で捕まった。」「信号無視で捕まった。」「停止線無視で捕まった。」などなど、聞き捨てならない行動が増え始め、父が78歳になる頃には毎回そんな話を聞くようになっていました。

この頃、世間では高齢者ドライバーによる事故が多発していたので、「これは危険だ!同じことになる!」と思い、父に「運転、控え目にした方がいいんじゃない?」と、それとなく話してみたのですが、父は「絶対、大丈夫。」と聞き入れませんでした。

父の性格上、その返事は想定内ですから、私も作戦を変えました。

こうなりゃ現行犯逮捕しかない!と思い、私も時間があればドライブについて行くことに。

すると、見事に信号無視や、左右確認の曖昧さが目立っていたので、その瞬間に「今、信号赤だったよ!!」と警告したのですが、父は「そんなことない!」と全くもって受け入れませんでした。

父が非を認めないので、私は母に「今、信号無視したよね⁉」と同意を求めると、「そぅ~??」となんとものんきな返答が…。

二人して気付いていない状況下が判明した以上、確実に危険であるため絶対に運転をやめさせようと決意しました。

人生を狂わせる

巻き込み事故で、人の人生を狂わせることは絶対にあってはなりません。

しかし父は昔から頑固で人の言う事には耳をかさず、自分のやりたいことは誰に何と言われようとやる!と言う最悪の性格でした。

自分の親をこんなに悪く言って、「なんちゅう娘だ⁉」と思われるかもしれませんが、事実は曲げられません。そのため苦労してきた母を間近で見てきました。

そんな父なので、「免許返納説得も一筋縄にはいかないだろうな。」と思いはしたものの、止められるのは家族しかいないので、「落ち着いて説得すればわかってくれるだろう。」と思い『このまま運転を続けるとどういう事が起こるのか。』を説明し、納得してもらおうと試みることに。

実際、この頃の父は、運転だけにかぎらず普段の生活の行動にも、失敗や間違いが多発していました。

例えば下記のようなことです。

  • 出かける際、一生懸命カバンに必要な物を入れたにも関わらず、違うかばんを持って行った。
  • 吐き下しの風邪を引いたが、前日のいつ吐いたか記憶にないと言う。
  • 医者で処方された大きな舐めるトローチを、錠剤のごとく丸のみした。
  • 数年前まで40年以上暮らしていた家の、住所の番地と電話番号がわからなくなっていた。
  • 半年ぶりに来た娘の家のトースターの使い方がわからなくなっていた。※単にスイッチをひねるだけの一般的なトースト。
  • コーヒーを入れる時、シンクの三角コーナーのごみ入れに、スティックシュガーの砂糖を躊躇なく注ぎ込む。
  • 翌日の病院の予定などを伝えても、30分後には忘れている。
  • 風邪を引いて肺炎になり抗生物質を飲んでいるにも関わらず、熱が下がったからとコソッと飲み屋に出かけて行く。※これは性格的問題か…。

その都度、心配したり忠告をしますが、これに関して父は、「友達に話したら、そんなの私も同じよ~ってみんな言ってるから大丈夫!」と、なんの説得力もない言い訳をしてきて、それを安心材料にしていたため危機感はゼロでした。

昔から『赤信号みんなで渡れば怖くない』と言いますが、父の場合『物忘れみんなで納得怖くない』状態だったため、この『みんな同じ安心感』は、父を説得するのに本当に厄介でした。

不安

運転をやめてくれない父に対し、私は『未来への不安と現在の苛立ち』で心はかき乱されていましたが、根気強く父の機嫌の良さそうなタイミングを見計らい説得を続けました。

私「父さん、運転中に信号無視とかで頻繁に警察に捕まるようになってるでしょ?それは注意力が欠け出してるってことだし、ニュースでも頻繁に出てるけど、大きな事故を起こして人を巻き込んで、その人の人生まで狂わせたりもするし、母さんを怪我させることにもなるから、そろそろ運転はやめたらどう?

実際、普段の生活でも間違いをよく起こしてるし、もうその状態で運転は限界なのと違う?何より父さんのことが心配だし、安全に生きて欲しいからさぁ。」

と、真剣に伝えました。なんせ人の言うことを聞かない父ですから、娘からの思いを込めて柔らかく切実にお願いしてみました。

その答えはと言うと…

父「何ゆーとる!ワシに限ってそんなことあるか!何年運転してると思ってるんじゃ!だーいじょうぶ、だーいじょうぶ♪」でした。

私は、「勝手にしろ!」と叫びたかったのですが、勝手にさせる訳にはいきません!これ以上、話しても数分後には父がブチ切れることはわかっていたので出直すことに。

ここから2年近く『免許返納の戦い』が続くとは、この頃の私は知るよしもありませんでした。

伝わらない思いと握りこぶし

悩む姿

父は私の説得を無視するので、とりあえず事故を起こさないためにドライブに同行し、父の第2の目となり前後左右上下360度必死に安全確認をしました。

私はドライブから帰宅するごとに、苦手なジェットコースターに乗せられた後のような、とてつもない疲労感に襲われていました。

そもそも両親は何故そんなにドライブに行くのかと言うと、母は体が不自由なため父とのドライブだけが、唯一の楽しみで生き甲斐となっていたからです。

なので免許返納は母の幸せを願う娘の私にとっても、複雑な問題でもありました。

私は運転免許を持っていないので、これを機に免許を取ろうかと考え、ゲーセンのゴーカートでシュミレーションしたり、本屋さんの免許証取得に関する本のコーナーに行き手に取ってみたり、教習所のパンフレットを握りしめました。

悩む

しかし私はどうしても運転への恐怖心がぬぐえず、思い悩んでいたところ、母がそんな私を見て、「怖いなら無理に運転しない方がいいよ。」と私の心に寄り添ってくれました。そして免許取得は断念。

「運転できない娘と運転を止めない父」…そんな親子正反対問題に揺れ動いていたある日、ドライブ中、店の駐車場で事故寸前の出来事が起きたんです。

前向き駐車をしたのですが、いざ出るときに父は運転席から頭を出し、後方の安全確認をしながら車を動かしたのですが、隣の車に激しいクションを鳴らされ「何してんだよ!ぶつかるだろっ!」と大声で怒鳴られたんです。

なんと父はバックではなく前進していて、タイヤも斜めになっていたので、隣の車に近づいてしまうと言う失態を犯していました。

私はクラクションを聞き、状況をすぐに把握しましたが、父はわかっていないのか動きが止まらなかったので、私は「隣にぶつかる!」と声をかけました。

そのとき、父は急ブレーキをきちんと踏むことができたので、ぶつかることはなく何とか事なきを得ました。

しかしこれが山の崖っぷちや、港にギリギリに停めていたらと思うと、想像するだけで背筋が凍りつきました。

このとき、「父のこの頭の誤作動は、近い未来きっと大事故を起こす。」と未来預言者でもない私にも予測がつきました。

そんなことがあったので、「流石に運転やめるだろう。」と思ったのですが、まだなお止める気はなく父の言い訳は、「たまたまじゃ。」でした。

「どっついたろか!!」と握りこぶしを固く握りしめすぎて、手のひらに残った爪痕の痛みに少し涙がこぼれ、「どうすれば無理やりではなく、このわからずやをわからせることが出来るのか、どうすれば運転をやめようと思うのか…。」そのことばかりで私の頭の中はいっぱいになっていました。

災いする頑固な性格

車事故

自分の運転技術に衰えを認めたくない父に対し、苛立ちを感じながら日々を過ごしていた私は、言うことを聞かない父親に対し、「なんでこんな人がお父さんなんだろう…。」と考えが違う視点に移っていました。

しかし、そんなことは考えても仕方のない疑問なので、直ぐに頭から打ち消し、「なぜ運転が危うくなった自分を潔く認められないのか?」について考えました。

高齢者ドライバーによる事故の報道が後を絶たないことから考えても、「自分もそうなるかもしれない。」と予測はできるはずです。それでも運転を止めないのは、「自分は大丈夫という過信」と「自分の生活のため」です。要するに「人の立場に立ち物事が考えられない」自己中心的思考回路なのです。

こういう人に、どういう切り口で説得に当たればいいのか、さっぱ分からず途方に暮れていたあるとき、父が風邪で咳が止まらず、詳しい検査の結果、肺気腫であることが判明しました。

その時父は79歳でした。

そんな状態でもタバコをやめず、咳き込みながらも意地になりタバコを吸うのです。アホをかなり通り越しました。

もちろん私は「身体のためにやめたほうがいい。」と何度も言いましたが、やはり全く聞く耳も持たずです。

父は20年以上前に小さな脳梗塞を起こしていて、その頃から再三やめるように言い続けてきました。

タバコだけではなく、おまけにお酒も大好きで浴びるように飲むので、身体に悪影響を及ぼすことばかりする父を、半分あきれ顔で見ていました。

自業自得でいつしか蝕まれた体は、風邪をひくと重症化しやすくなっていったのです。

そしてとうとう、頑固な性格が災いし、本当の事故を起こすことに…。

医師

またもや風邪を引き熱をだし、病院で抗生物質や咳止め熱冷ましなどを処方してもらい、熱は直ぐに下がってくれたのですが、医師から「抗生物質を飲みきるまでは安静にしておく必要がある。」と説明されたにも関わらず、父はなんとお構いなしに車で外出。

アホを通りこした先には、やりたい放題のお花畑でも広がっているのでしょうか。

しかし10分もたたないうちに、悲壮な顔で家に戻ってこう言いました。

父「えらいこっちゃ~、えらいこっちゃ~、車ぶつけた~。」

私「はぁ⁉どこに!」

私は慌てて外の車を見にいくと、右半分フロントが大破して、車が泣いている様に見えました。

それを見て、かなりのスピードで何かにぶつかったことは一目瞭然でした。

私「どこにぶつけたのよ⁉」

父「角の電柱。」

私「人はいなかったの⁉」

父「いなかった…。気分がフワフワとしてきて、気が付いたらぶつかってて、命かながら家にたどり着いた。」

そんな状態で運転して戻ってくると言う判断をした父に恐怖を感じました。

誰もおらず騒ぎにもならなかったようで、家に戻り車のディーラーや警察に連絡していました。

そして、私は父の「気分がフワフワ」の言葉を思い出し、『薬のせいかも⁉』と思い、父の薬の残量を調べてみました。

薬

ビンゴ!その予想は当たっていて、数種類の薬の残量が間違っていて、熱さましを二倍量飲んでいました。

もうこれは運転云々の前に、頭の方を見てもらうレベルだ!と、すぐに物忘れ外来を予約し、この段階で父には断る権限など皆無なので、有無をも言わさず病院へ連れて行くことにしました。

そして、大破した車に関して父は修理依頼をしたので、「まだ乗る気なのか⁉」と驚愕でした。なんとも往生際の悪い父に対し、私の内心はブクブクに沸騰していました。

催眠術がかけられるなら、こんなときこそ『あなたは運転免許証を返したくな~る。』と有効活用したい!と訳のわからないことまで考え出している自分がいました。

そして何度もアホを通りこす父の頭に対し、「これだけ人の言うことを聞かないで、平然としている性格もある意味羨ましい。」とさえ感じました。

これぞまさに悪影響。しかし幸い私は幼いころから、父を完全に反面教師としていました。

そしてこの頃、人の言うことを全く聞かない父の性格が、遠慮なくムクムクと発揮されるごとに、私は爆発しそうな自分の心と格闘することで、血圧がどんどん上昇していくのを感じていました。

つづく。

まとめ

父は若いころから物忘れがひどいので、70歳を越えてからもの忘れが悪化したとしても、慢性化し麻痺していて、そこにプラス、傲慢でワガママな性格が後押ししていたため、その先に起こる危険も重大さも、本人は事故を起こすまで理解できませんでした。

この性格はアルツハイマー型認知症がわかってからも、家族を悩ませていますが、私は自分の心が引っ張られて見失わないよう日々試行錯誤しています。

では、後編では、その後の診察でどうなったのか?運転免許は無事返納できたのか?と言うところからお話を進めていきますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。