まいにち笑顔のNyao Blog

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人生を振り返り見つめ直してみたら、頭の整理になった話

人生って何なんだろうか?と、ふと考える時がある。人生を振り返り人生について考えてみた。すると、頭の中が整理できた。

人生を振り返り見つめ直すこと

人生とは、まさに山あり谷あり、壁あり、荒れ地あり、迷子あり。決して平坦な道のりではない。しかし、恐れることもない。

なぜなら、みんな通っている道だから。

平坦な道ではなく、凸凹道や落とし穴に出会った時、それをどう対処できるかはその時々で違う。

幼児期

まずは、乳児期はとにかく「泣く」と言う手段しかないので、痒かろうが痛かろうが暑かろうが寒かろうが、とにかく「泣く」泣いて泣いて訴える。

そして、側で世話をする大人がそれに世話をやいて解決に導いてくれる。

幼児期になると自尊心も芽生え始め、感情のままに泣いて訴えることが出きるようになり、これまた側にいる大人が世話をやいて解決に導いてくれる。

幼児

小学生

小学生になる頃には、ほぼ人格は形成されていてクラスには色んな人間が集まることになる。シビアな問題が起こり出すのは高学年くらいかではないだろうか‥‥。そして勉強も差が目立ち始める。まだころの頃は、子供も日々の変化が顔や態度に出やすく、親も問題に気がつきやすい時期である。

多感な思春期

多感な思春期の中学、高校生になったら、問題が起こるとほぼ様々な理由で隠しに入る。

親に心配をかけたくない、問題事態を知られたくない、話せば大事になりそう、話す事が恥ずかしい、話したいがどう思われるか心配、自分で解決する等、心は揺れ動きも痛む。

簡単に泣けなくなる

泣いて訴える時期を過ぎたからには、そうそう声をあげてなき倒すこともできず、泣くことすら素直に出来ず、少し大人になりつつある心が、自分を奮い立たせようとして、心に負荷がかかりだす。

人生で一番、心が多感な時期なだけに、周りもその心に土足で踏み入ってはいけないし、かといって気がついているのに知らん顔はもっと良くない、悩みを抱えた子供は誰かに聞いてほしいし、助けてほしいと思っているはずだから。

実際、自分もそうだった。だけど、私は話せなかったし我慢をしてしまった。友達には話した、それが解決に繋がることを望んでいるわけではなく共感してくれるだけで心は救われた。

だから親には言えなかったし、親も全く何も気がついていなかった(大人になってそう言うことを話したことがあったので立証済)親には心配をかけたくないと言う思いと、知られたくない思いが半々で、何もないフリをして過ごしていた。

その思春期に起こる様々な問題は、あちこちで多発していると思うけれど、大概は私のようにその悩みを消化していると思う。

タートルから目を覗かせる女性

人生の深い悩み

だけど、中には生きることを諦めるほど深刻な問題を心に抱えている人もいる。誰にも話せず誰にも気付いてもらえない、もしくは気付いてるのに助けてもらえない、そんな日々がその心を絶望の果てに導こうとする。

そして、自由を知る前に命を投げ出してしまう。全て終わりにするために。

このような状態の時は、周りの大切な人のことは目に入らないし、何が大切で大切じゃないかなんてそれどころではない。そして、自分も大切にできない状況に陥っている。

膝を抱える  

ハムスターの本能に習う

ハムスターは自分が弱っているとき、全くその素振りを見せない、なんなら骨が折れていても平気なふりができる生き物だ。何故なら敵に気付かれて攻撃されてしまうからだ。

人間も時には、自分の心の弱味を見せないために、平気なふりをする。さすがに骨が折れてしまったら、ハムスターのようにはいかないけれど。

そぅ…骨が折れたら、それは隠せないから否が応でも病院で手当てを受ける。

だから、もし誰にも話せず悩んでいて、どうしようもなく消えてしまいたい!って思っているならば、病院とは言わない、心の相談窓口があるはずなので、自分の心を助けてあげてほしい。

不安定になる心

心が痛くて辛くて悲しくて、涙が止まらなくて人間や世間が信じられなくて、この思いを止められる薬が、この世のどこかにあるのなら、本気で手に入れたい!と思うくらいどーしようもないなら、今を乗り越えた自分が未来で微笑んでることを想像してほしい。

微笑む女性

今悩んでいる場所は、この先の人生から考えたら、ほんの一時期に過ぎない。数年後にはそこから離れて違う場所に立つのだから。今だけに支配されないでほしい。

一歩引いて自分を見て、自分に声をかけてあげてほしい。

待ち受ける社会

学生時代が終わると、次は社会へと羽ばたく時がくる。ここからは学生時代、培ってきた様々なことが試される場所と言っても過言ではない。過去の苦しかった出来事は自分を様々なシーンで救ってくれる。

痛み苦しみを知れば、人に優しくなれる。涙の雨で濡れた大地から目を出した心の木は、絶対に強く逞しく育っている。  

木

自分を信じて

その自分を信じることができれば、大抵のことは乗り越えられる。仕事につけば、その会社の仕事を覚え順応し、スキルアップしていくことで日々を積み重ねることになる。

私は社会人になりたての頃、学校の勉強なんて何の役にも立たないじゃん!と、何度も思い、口にも出した。よほど専門的な事を学び、その筋の職につかない限り、理科の実験や数学のややこしい式等、活躍の場は回ってこない。

しかし子育てをしていれば「わからない所があるから教えて」と子供からお願いされる。役に立たないと思われていた勉強の出番がやってくる。

ようやく日の目を見た昔の勉強したことは、頭の奥地へ追いやられていて、発掘するのに四苦八苦しながら教える。この地点でも、勉強してきたこと意味ないじゃん!って思ってしまう。

しかし、まったくそうではない。長い時間教室の椅子に座り、教師と向き合ってきた時間と言うのは、その後を生きる為にも必須科目であった。

押し寄せる5月病の波

社会人を続けていくうちに、勉強をして集団生活をおくり、人間関係を築きあげると言うことの重大さや、重要性がどれだけ大きいかがジワジワとわかり出す。

まず、社会に出ると今まで同世代がほとんどの毎日から、バラエティー溢れる様々な年代、性格の人がいて、カルチャーショックを受ける。なので5月あたりにはそれが、早くもピークを迎え「5月病」なるものが流行る。この流行には乗りたくないものだ。乗ったとしても、うまくサーフィンしなければならない。

サーフィン

人生、大活躍の忍耐力

それを乗り越えるには「忍耐力」が大活躍する。

あの青春時代、誰にも悩みを言えず堪え抜いた根性はここで生かされる。それだけではない、勉強をがむしゃらに頑張ったり、クラブ活動の厳しさに耐えたり、役員活動を頑張ったり、様々な頑張りが必ず力になる。

社会では必ず周りと助け合って行かなければならない、仕事をするということは協調性が重要だし、独りよがりでは事はうまく運ばない。

上司から仕事のノウハウを伝授してもらい、それを吸収する能力は、勉強を繰り返して来た学生時代があるからこそ、万が一、未知の世界の仕事に足を踏み入れたとしても、頭で考え目で見て覚え進んでいけるものだと痛感する。

この世の中に学校がなく遊び呆けていたら、少なくとも私はこの「日本社会と言う荒波」に立ち向かえなかったと確信している。相当ポヤ~、ポカーンと口が開いたままだったに違いない。そんな状態では荒波にのまれることは言うまでもない。

なので様々な勉強に、努力を積み重ねることは脳ミソ育成になくてはならないのだ。学生時代は貴重である。

社会人の悩み

社会に出たら、自分の辛さはもっと他人に言いづらくなる。 上司に、相談したとしても

「自分もそうだったよ!大丈大丈夫だから#$&@§×÷ω………。」

と、乗り越えてきたことを教えてくれるが、今、悩みの真っ只中にいる者にとって、その結果論は簡単に心に響かない。負のスパイラルに巻き込まれたら、自力で這い上がる力が必要で、やはり負けない忍耐力が必要だ。そしてそこに、励まし合える仲間がいれば心の支えになる。仲間の力も偉大だ。   

心の壁にぶち当たった時

そぅ、こうなったときの乗り越え方を、学校の勉強では教わっていないので、壁にぶち当たった時に心の持ち方や、問題解決の糸口を見つけるのに奮闘しまくった。

大人になってからでは、頭は固く考え方が固定されてしまっていて、失敗を恐れてだんだん小さくなってしまい、その内に失敗地獄の強迫観念にとらわれ、もしもそんな時に失敗しようものなら、見えない何かに奈落の底に突き落とされてしまう。そこから這い上がるのは至難の技であった。

なので学校と言う教育の場所は、他者に合わせる協調性の

「右にならえ!」

を、教えることも大切だが、自由の中で工夫し助け合い生きることの重要性、他者の意見を受けとめ自分の意見も言えるようになる

「柔軟性!」

も、同時に身につけられたなら、社会に出たときのジェネレーションギャップにも、対応しやすい体質になれてると思うので、どんどんそのようになれるレクレーションが増えればいいのになと思う。

無償の愛を感じられたら

家庭は子供が一番始めに出会う社会である。その小さな社会でできることは限られている。その小さな社会は人間の基礎となるので、大人は働き子を育て家庭を守る役目に奮闘している。そこから子供は愛を学びとる。 

愛の中でも最強クラスの「無償の愛」だ。愛は地球を救う!と言うキャッチコピーもあるくらいに愛は素晴らしいのだ。

愛のオブジェ

その愛に包まれながら、学生時代に乗り越えてきた様々な出来事は、自分の財産であり武器になるように、社会で出会う凸凹道にもつまずかないように、一歩づつ足元をよく見て歩むことで自分の力となり心の成長となる。

しかし、近年、親による子への虐待が後をたたず悲しいニュースが知らされる。子育てを経験された方はわかると思うが、何もわからない状態で産まれた命に世話をし、知識を伝えていくことは本当に大変である。

「育児ノイローゼ」という言葉が昔からあるほどに、無知から有知に育て上げて行くと言う事は、自分自身をコントロール不能にするほど大変だと言う事だから。

なので、自分が子を産むと親の有り難みを一気に理解できる。なのに、何故虐待は後をたたないのか?そこにはやはり、忍耐力や愛情が必要だからだと感じる。それは、受け継がれていくものでなければならない大切な物なのだと感じている。

大人が子供を守る本能

思春期の問題は、親も気がつけないケースが多々あるし、それは普段からのコミュニケーションが、物を言うことになるのだと思う。それも忙しい現代社会では、失われつつあるものの一つなのかもしれない。

だけど、それは理由にも言い訳にもならない。親は普段から子供に愛情を注ぎ、普段と違う様子に気づいて行くべき存在だから。

気づいたからと言ってやみくもに理由を聞くのではなく、子供の異変に感ずづいて何も言ってこなければ見守ることも大切だし、話しやすいように自分の日常の中で起こる辛い話や、周りで起きていること等を話題に持ち上げると、子供の日常に話題が移行しやすいので、親も「子を守る本能のアンテナ」を最大限に張り巡らせて欲しい。

人生において苦難や苦悩は心の糧になる

「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言うことわざがあるが、それができる人は苦労を心の糧とし、どんどん魅力に変えていける。

そう、大人になって、体の成長は止まっても心はいつまでも成長できる。

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その足で、心で人生を

心の中に芽生えた木は、やがて大木になり花を咲かせ実をつける、そして落ちた実が肥やしになり心を育て続ける。それができるのは人間だけであり、それがあちらこちらで繰り返されながら、この世の中を作り上げている。

その一部である自分を大切にし、その足でその心でしっかりと歩くことこそが人生なのかなと思う。

一本道

あとがき

私はこのブログを初めて、楽しんで色々な記事を更新していますが、人生の流れについて一度大きく振り返ってみたくなりこの記事を書きました。

人それぞれ、人生観は違うと思いますし、時を経て変化もすると思います。自分自身、今の地点の人生観と十年後の人生観とではまた違いがでてくるでしょうから、一度まとめて書いておくのも後々読み返した時に面白いかもしれません。