まいにち笑顔のNyao Blog

雑記ブログ:商品レビューや日常の出来事、高齢者との暮らしについて

祖母と私の物語

ある日突然、祖母と一緒に暮らす事になったのですが、その「ある日突然」となった理由がなかなかの出来事でして、祖母が悲しみのどん底に突き落とされた所からの同居となりました。悲しみを乗り越えた祖母は102歳を目前に亡くなりました。そんな祖母と私のお話です。

お祖母さん

しっかりとした祖母

祖母は、背筋もピンと伸びていて開脚もできたし、頭はすこぶる冴え渡り、耳もしっかり聞こえていた。しかし、都合の悪い事は聞こえない便利な耳の持ち主だった。

日課は2000歩のウォーキングだった。歩かなければ筋力が落ち、翌日歩けなくなる!と言って、熱が出ようが足が痛かろうが、とにかく歩くことを止めなかった。

とてもしっかりした祖母だった。

しかし、しっかりしすぎていて一緒に暮らしていた嫁とは折り合いが合わず、息子が亡くなると同時に、祖母が長年暮らした思い出の詰まった家を追い出されてしまい、孫の私が一緒に暮らすことになった。

祖母との暮らし

いざ、祖母との暮らしが始まると祖母と、ジェネレーションギャップもあり、大変なことも多かった。生活リズムも違えば、食べ物の嗜好も違う、おまけに食べ物は柔らかさが必須だ。全て祖母に合わせて生活を仕切り直した。

気の強い祖母ではあったが、さすがに嫁に放り出されたことで、心に大きな傷を受け、毎日、毎日泣いて嘆いては仏壇に向かい、先に亡くなってしまった息子たちに手を合わせては

「自分だけ、こんなに長生きしたあげくに、こんな目に合ってしまい、死んだお前たちが羨ましい、だけど死ぬことは怖い。」

と、同じことを何度も何度も繰り返しては涙を流す日々だった。

私は自分自身が似たような経験をしていたので、祖母のその思いを聞くことに徹した。心にしまい込むと、風通しが悪くなり、心が病気になってしまう事もわかっていたから。

「わかる。悔しいよね、辛いよね…涙が枯れるまで泣くといい。だけど恨んだって仕方ない、そのことに心縛られて、時間をさくのはもったいないから、吐き出すだけとにかく吐き出して、スッキリしてさ、楽しく暮らそうよ。」

と…そんな風になんとか励まし続けた。

祖母は「そぅだね、自分も悪いとこもあったよね。」

と、途中考え方も変わってきて、笑顔も徐々に増えて行き、一年くらいかかったが気持ちは前を向いていった。

今と昔

その暮らしの中で、私は祖母から大変だった昔話を聞くことができて、今と言う世の中が、いかに便利で幸せな時であるか‥‥と言うことを痛感した。

一緒に暮らしていた当時、祖母は91歳だったので、もちろん戦争を知っているし、苦しい時代から弁利な世の中への、移り変わりを肌で感じてきた貴重な存在であった。

その話も私にとっては、とても貴重な話となって、自分も贅沢な部分を改めたりした。

そして逆に、私は祖母に現代の便利を教えてあげた。

便利になりすぎた世の中だが、その1つの携帯電話のGooglemapのストリートビューで、祖母が幼い頃、暮らしていた田舎の風景を見せてあげることができた。

祖母の記憶はとても鮮明で、その角を曲がれば寺の門があるとか、小川や土手があるとか全部覚えていて、興奮気味にとてもとても懐かしがり喜んでいた。

この小さな板(スマホ)の中で、何でそんなことが出来るのか?それが不思議で仕方ないと感心していた。

祖母の言葉

そんな祖母が口にした言葉の中で印象に残っていることは

「猫と犬」‥‥似合わないと言う隠語で鳴き声が、猫はニャー、犬はワンでニャーワン…にあわん…似合わん(似合わない)なるほど!

「どんなに金持ちだって金を積んでも、手に入らないものがある、それは命」‥‥そのうち買える世の中が来そうにも思うが…それはないかっ!?

「“絶対”という言葉がこの世の中で当てはまるのは“死ぬ”と言うことだけ」…確かに。。。 

「罪を憎んで、人を憎まず」‥‥なかなか難しい!

「男は度胸、女は愛嬌」‥‥共感!

「死ぬことは怖くない、先に死んだものが待っててくれてるから。」‥‥はじめの頃は死を恐れていたが、亡くなる一年ほど前からは、思考がそのように変わっていた。

祖母との会話は楽しかった。    

老人ホームへ

私が祖母と一緒に暮らしたのは、一年半ほどだったが、その後は24時間安全に暮らせることを重視し、老人ホームへ入所した。

老人ホームは体調を崩したとしても、医師も常在していて安心である。食堂にいけば三食とも用意されているし、風呂に入りたいときは大浴場に入ることができる。

その他の身の回りのことは自分で出来るので、掃除や洗濯は自分でしていた。

何より、話す仲間が沢山いる、しかし亡くなって行くことが多発するので、死ぬことに不安になる人もいるようだ。

しかし、だからこそ1分1秒を皆、大切に生きているなと感じた。

体調崩し一気にボケる

私が遊びに行って帰るとき、祖母はいつも「こんなオバァの為に、時間をさいてくれてすまんなぁ、ありがとさん。」と言って右手をサッとあげ見送ってくれた。

祖母は亡くなる数ヵ月前に、体調を崩し歩く事ができなくなり、一気にボケてしまった。最後は意識が朦朧として話もできなくなっていた。

何を言ってもほぼ反応がなくなっていたが、亡くなる2日前に見舞いに行った時、私が「帰るわね。」と言ったら、祖母の右手がいつものように、サッと上がったのには驚いた。

祖母の死と遺品

なくなった後、祖母の部屋の遺品を整理していたら、机の上に置いてあるノートの下に、手紙が置いてあった。老人ホームに入所したてまもなく私が祖母あてに出した手紙だった。

友達から来た手紙は、全部押し入れのダンボールにしまってあったので、私の手紙だけ読み返していたのだろうか、見つけた時はとても嬉しかった。

そしてその手紙の下に、広告の裏の白い面に祖母の直筆の文字が並んでいた。

歌手のKiroroの「未来へ」の歌詞が綴られていた。少し震えて書かれた、小さなその文字を読んでみた。

心に染み込み過ぎて途中、涙で見えなくなった。泣かせやがってこのやろう状態だった。それは、今わたしの宝物となっている。

祖母が居なくなっても、こうやって思い出す事ができ、心の中には祖母が生きている。

それが勇気になり励みになって、私は今日を生きている。