父と母は二人暮らしで、私は自転車で10分ほどの距離に一人で暮らしていました。
家も近いので、よく遊びに行っていました。
そんなある日、いつものように遊びに行った時のことです。父の様子が何かおかしいのです。
体調が悪くなった時、大人は自分で気がつけるので、安静にしたり薬を飲んでみたり病院に行ったりと対処しますよね。
父は40度の熱が出ているにも関わらず、どれも全く出来ませんでした。
後々考えると危険な状況下だったのだと改めて思います。
それは高熱による「せん妄」と言う症状でした。
その経緯のお話となります。
せん妄体験談、高齢の父の入院から回復までの実録
高齢の家族が入院するまで「せん妄」と言う症状があること自体知りませんでしたので、実際にその症状を見た時は衝撃的でした。
高齢者の入院にはよくある事だそうです。
では我が家の父の場合の実体験をお話していきます。
異変の始まり
まず、その異変は日常何気ないシーンから始まりました。
何かを必死に探しているのですが、探しっぷりがおかしいのです。
娘「何さがしてんの?」
父「ん?いやあれがないんや…。」
娘「あれってなに?」
父「なんやったかなぁ…。…。…。」
しばらく見ていると、封筒を出してはしまう、出してはしまう…。
黙って見続けたところ、これを繰り返すこと15分ほど。
なんぼなんでも探しすぎです!
父は昔、小さな脳梗塞を起こしていて、後遺症で多少物忘れがあったり、注意力に欠けていたりする所があることは、検査でわかっていたので、日常、多少おかしな行動をしていたとしても、その症状かなと思うのですが
それにしても……おかしい。
突然ボケた?こんなに突然ボケる?と思うほどでした。
その夜、失禁
その日の夕飯は普通に食べて、会話も普通にできたので、はやり何かを探していたのかな?と思い気にする事はやめました。
その日の夜中、父がトイレに間に合わずオシッコを漏らし、その後しばらくして部屋からガタンガタンと音がしたので、母が見に行くと何かを探していたらしく、何を探していたのか聞くと、父は「何かはわからない」と言ったと母から私に連絡が来ました。
ちなみに父は普段オシッコを漏らすことはありません。
急変した容態
翌日、直ぐに駆けつけましたが、至って普通な感じで、会話も通じていますし、ご飯もモリモリ食べていて、いったいなんなんだ?と思っていましたら、夕方にはあれよあれよと言う間に、足が立たなくなってしまいました。 わざとじゃないの??と、思うくらいの立てなさっぷりで、表情が眉間にシワを寄せた、難しい顔になっていてました。
立てないことに怒り狂う父を起こそうとして、腕をつかんだその瞬間、私は驚きました。異常に熱いのです。
それは例えるなら、沸かしたてのヤカンをそうとは知らず触ってしまった時の、アチーーーーッっと同じくらいの衝撃でした。
ちょっと大袈裟ですが、それくらい人間としては熱さが異常でした。
発熱です。即、熱を測ったら40.2℃。
えっ?マジですか!?それで本人気がつかずなの?どう言うことっ!そんなことあるの!?
と、戸惑いながら、日曜だったので即、救急病院に電話してから連れていきました。
診察そして即入院
診察の結果、肺炎になりかけているとのことで、高齢者の為、命に関わるのでそのまま入院になりました。
車イスに乗せられた父は、高熱で絶対にしんどいはずなのに、何やら普通の表情で前を見据えていました。
むしろキリッとしているようにさえ見えたのです。
40度超えの熱のある人の佇まいではありませんでした。
その地点で感覚が麻痺していたのでしょう。
翌日、見舞いへ
翌日、病室へ見舞いに行きました。点滴2本、尿管もつけられていました。
父はろれつが回らず、何を言っているのか理解不能でした。
ご飯も一人では食べれないので、私が食べさせました。
一夜にして別人となっていました。
スプーンを口許に持っていくと、見たこともないくらい大きな口を開けて食べました。
しかし開けると物を入れるまで微動だにしないので、口の中へ食べ物をいれると、その大口は無表情で閉じられ、ムシャムシャもぐもぐとまるで幼児のように、しっかりと噛みしめてゴクンと飲み込んだら、また大きな口を開ける……
なにやらカバにご飯をあげているような気分になってしまいました。
娘「美味しい?」
父「……。」大きく頷く。
娘「そりゃ良かった。」
父「おいひーよっ(美味しいよ)。」
確実におかしい…。一夜にして更に変な状態が増していました。
しかし、会話の意味はわかっている…。
父の中でいったい何が起きているのか?数日前の父とは、まるで別人でした。
病名
病名は「気管支肺炎」とのことで、抗生剤の点滴を投与し菌をやっつける治療を続けることになりました。
その日から坂道を転がり落ちるかのごとく、父は孫が誰かわからなくなり、看護師さんに暴言を吐いたり、幻がみえると言うようになりました。
窓の外に巨大な鳥が飛んでいるだの、部屋の隅に人が立っているだの、サムライがどーのこーのだの…。
初めはその意味不明な幻話しに付きあって聞いていましたが、帰り道、自然に涙がこぼれてきました。
と、言うのもその前の年に亡くなった祖母が、全く同じような状態に陥って、あれよあれよと言う間に亡くなってしまった事と重なったからです。
そこから数日は会話も噛み合わず、父は周りに文句を言ってみたり、感謝の言葉を言ってみたり、勝手に動こうとしたり、自由人になっていました。
しかし、勝手に動こうとしてベッドから落ちたそうで、拘束される事になり自由人は即日撤回となりました。
目の前の父は私の知らない父
もはや話の内容が支離滅裂で、「人間も壊れるんだ」と愕然とし、目の前にいる父が知らない人のようで怖く感じました。
それは「せん妄」(下記に説明有)と言う症状だそうで、環境が変わったり、高熱や手術後により発症するケースが多いそうです。
父はせん妄症状を抑える薬も処方することになりました。
見舞いを終え階段を降りているとき、悲しくてポロポロと涙が溢れてきましたが、瞬時に気持ちを切り替えました。
「泣いてる場合じゃない!父を呼び戻す!」
と、自分に言い聞かせ帰路につきました。
それから母を連れて見舞いに行きましたが、父は母をハッキリとはわかっていないようでした。
母はもちろんショックを受けていました。
それから私は毎日病院に通い、側に寄り添い意味不明な会話にとことん付き合いました。
すると次第に熱も下がり始めて、日を追うごとに「せん妄」症状も徐々に元に戻っていきました。
とても安堵しました。
リハビリ病棟へ
入院から3週間ほど経過していました。
せん妄症状は消えてくれましたが、ずっとベッドで寝ていたので、次は筋力が完全に衰えて立てなくなり、排尿も自力でできなくなってしまいました。
尿路感染も起こし、尿のたまるビニールパックが真っ赤だった時は、さすがに私もゾワ~としました。
身体能力を元にもどす為、リハビリ病棟へ移りました。
後から父が話していましたが、このリハビリが一番辛かったそうです。
動かない身体に対して、筋力をつける事は体力をかなり消耗したようです。
本人は1日も早く家に帰りたいが為に、一生懸命頑張っていました。
父の頑張りと担当の先生、看護士さん、理学療法士さん、掃除のパートさん、沢山の人に支えられて、父は歩けるようになり、何とかトイレにも行けるようになりました。
リハビリ病棟へ移ってから、1ヶ月で退院することができました。
入院前は普通に歩けていたのに、こんなにも簡単に筋力が低下するとは本当に驚きました。
普段から筋力を鍛えておくことも重要であるのだなと思いました。
せん妄とは
明確な原因は解明されていようで、高齢者特有の「虚弱な状態」に、何らかの身体的、心理的な引き金因子が加わることで起こると考えられています。
「虚弱な状態」となる原因は、「高齢であること」「脳の機能低下があること(まだ認知症になっていない軽度な低下も含む)」。
旅行先や入院先で起こりやすいのも、環境の変化による心理的ストレスが引き金になるからで、新しい薬が処方されたばかりのときには、それが原因である可能性があるそうです。
あとがき
「せん妄」症状は昨日とは別人になってしまい、こちらも戸惑いをかくしきれない状況になります。顔つきまで変わっていました。
この様な症状が起きると言うことを、知っていると知らずとでは、いざ目の前にした時の受け止め方が違うと思うんです。
そう言う事態にならない事が一番なんですが、高齢者の方に起こりやすい事は確かな模様で、私の知り合いのご両親も、入院されて「せん妄」になられた方が結構いらっしゃいます。
私自身、父の前に祖母の「せん妄」状態を体験していましたが、それでもいざ父がそうなったとき、信じたくない思いが胸を締め付け、元に戻らなかったらどうしようと不安になりました。
今、この記事を読んで下さっている方は、身近な方がせん妄症状を起こされていらっしゃるのかなと想像いたします。
当のご本人も、ご家族の方も不安の最中にいらっしゃると思いますが、私達は医者でない限り、根本的な治療をしてあげる事はできませんよね。
ですが家族だからこそ、いつも側にいた存在だからこそ出来る事があると思うのです。
良くなる事を願い、思いやりを持ち側にいる事が大切なのではないかなと感じます。
お大事になさって下さい。
不意にこの記事に辿り着いた方には、この記事を読んで頂いた事を機に、せん妄と言う症状について、あんな記事があったなぁと、頭の片隅に覚えていて頂けると幸いです。